職業としての翻訳の現状を考えていくと、なかなか明るい話にはならない。翻訳者が何人か集まった場で、翻訳学習者がきわめて多いという話がでると、皆で顔を見つめあって、ため息をつくことになる。翻訳学習者のほとんどが、サッカーでいえば全員が団子になってボールを追いかける段階から抜け出していないからであり、また、翻訳という職業が、憧れの対象になるような性格のものではないからである。翻訳は苦労が多く、報われることが少ない仕事だ。翻訳者は物書きの端くれを自認しているかもしれないが、物書きの世界では仲間だとは認められていないのが通常だ。一冊でもいいから、自分の名前で本を出版したいという翻訳学習者がいるが、物書きの世界では、訳書があるからといって尊敬されるようなことはまずない。翻訳なんかしてないで自分で本を書けばいいのにと、軽くあしらわれる。たいていの読者は、好きな作家の名前をあげることができるはずだが、翻訳物を大量に読んでいる読者でも、翻訳家の名前はひとりも知らないのが普通だ。翻訳学習者すら、好きな翻訳家の名前をひとりもあげることができなかったりする。翻訳が話題になるときは、たいてい、誤訳か欠陥翻訳の指摘であり、すぐれた翻訳のどこがすぐれているのかを解説した評論は、まず見たことがない。